文庫 遺伝子の川 (草思社文庫)

本書はこのページの上の「商品の説明」に、「自己増殖を続けるＤＮＡに導かれ、進化はどこへ向かうのか。遺伝子の川の流れをたどりながら、自然淘汰とダーウィン主義の真髄に徹底した論理思考で鋭くせまる」とあるように、（ネオ）ダーウィニズムに沿って、（１）「デジタルの川」と題して、ＤＮＡ情報による遺伝子の（複製）原理をデジタル暗号と捉えて自然選択、遺伝子の突然変異などの基本理論、（２）「全アフリカとその子孫」として、分子遺伝学的な論理からミトコンドリア・イ ブの考察、（３）「ひそかに改良をなせ」と題して、ミツバチや昆虫などの生態検証による性選択理論、ミツバチの８の字ダンスと進化などの考察、（４）「神の効用関数」として、ミツバチ社会の性比のコストと効用関数などの解説、（５）「自己複製爆弾」と題する光学異性体と突然変異などのトピックについて、学術的と言うよりは翻訳類書のエッセイに見られる“レトリック”な筆致で展開する。私見として読後感を率直に言えば（自分の読解力の不足は否定しないが）、後半特に第５章の趣旨が今一つ良く判らない。「自己複製爆弾」の観念及び光学異性体について「超新星爆発」との比喩で展開するのだが（190〜204頁辺り）、それらがＤＮＡ鎖構造（ＡＧＣＴ）を含めてどのように有機的に連関するのか、少なくとも私には把握しきれない。取り上げている光学異性体が具体的に何なのかーーある種の蛋白質やアミノ酸、あるいはＤＮＡの特定塩基配列（コドン）や右に対応するアミノ酸の分子構造の光学異性体（本文では「鏡像異性体」と呼ぶ：195頁）を指すのか、「超新星爆発」によって一体何を表象したいのかーー遺伝子変異の爆発的増大なのか、単なる多様な重元素の発生それとも進化の事情もしくは遺伝の多様性なのかーー些か判りにくい。第４章までのトピックが興味深いものであるだけに（４章で展開する「効用関数」の意義も掴みにくいのだが）、第５章の論述には些か戸惑ってしまう。なお、本書では特定の塩基配列３個の並びを“コドン”としておらず、右コドンとアミノ酸との対応についても言及はない（24頁ほか参照）。他方本書で評価すべき点として、原著注の在り方である。巻末注や章末に一括せず、必ず見開き頁の左側（奇数ページ）の左端に文字級数を落として展開していることは、逐時巻末や章末に進んで番号等を探す面倒がなく、思考が中断されないので好感が持てる。かかる方法は他の出版社も見習うべきと思う。余談になるが、本書１７２〜１７３ページでアメリカの自動車メーカーの経営者の戦術エピソードを取り上げている。それはスクラップから同社の部品の痛み具合を調査し、ある部品が寿命までまだ数年あることが判明し、コストダウンのために（「分不相応」として）右部品の質を落とした、と言うものである。どれ程の「分不相応」かは明記がないが、その是非は別論としてかかる経営姿勢が日米のモノ作りの品質に影響するのではないかと感じる。全体的に観て翻訳の固さが散見されこなれていない印象を受けるが、原著のレトリックな筆致も窺えるので評価は難しい。私の読解力不足は認めるも、第５章の趣旨の不明瞭さには些か疑問が残る。